トップページ原爆の絵国民学校の校庭に全校児童の整列したままの死体
識別コード | GE12-11 |
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絵の内容 | 国民学校の校庭に全校児童の整列したままの死体 |
作者名(カナ) | 世良 戸城(セラ トジョウ) |
作者名(英語) | Tojo Sera |
当時の年齢 | 43歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)9:00頃 |
情景場所 | 大手町国民学校 |
情景場所旧町名 | 大手町八丁目 |
情景場所現町名 | 大手町四丁目 |
爆心地からの距離 | 1,000m |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | **絵の中 昭和二十年八月六日午前九時頃目撃 広島市大手町小学校(?)校庭に全校児童の整列したままの死体 この図は義兄渡辺寿太の目撃談を聞き描きしたものである。渡辺寿太は元広島市中島本町に住し、後材木町に移り□□□□□営業中昭和十九年、家屋疎開により、家を除去され、軍命令にて舟入川口町へ移転した。昭和二十年八月六日には、軍徴用にて比治山に於て、作業中被爆し、左顔面だけ焼かれ、直ちに家族の事が気にかかり、舟入川口町へ走る。途中多数の被爆者に出会ったが、大手町小学校(?)校庭に朝礼中と見へる全校児童が整列したまま、一様にうづくまって、黒く焼けて、死んでいたのが一番可哀想であったと云う。 義兄は爆風で倒れた自宅の下から家族三人を引出して、比婆郡東城町小奴可へ帰ったが、被爆が原因で長男勇は昭和二十五年五月、十八才で死亡、兄も原爆症が治らぬまま、昭和四十年十月、七十二才で死去した。 姉コトヨと長女ツヤ子が生き残った。 世良戸城 画 |
サイズ(cm) | 38.5×54 |
展示の説明文 | 『図録 原爆の絵 ヒロシマを伝える』 〔作者のことばから〕要約 整列したまま 国民学校の校庭に、朝礼中と見える全校児童が整列したまま、一様にうずくまって黒く焼けて死んでいた。 8月6日 午前9時頃 1,000m/大手町国民学校 世良 戸城 |