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トップページ原爆の絵新大橋周辺に横たわる市立第一高等女学校と県立広島第二中学校生徒の死体

原爆の絵

識別コード GE11-40
絵の内容 新大橋周辺に横たわる市立第一高等女学校と県立広島第二中学校生徒の死体
作者名(カナ) 山根 壽登(ヤマネ ヒサト)
作者名(英語) Hisato Yamane
当時の年齢 38歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/7(時刻)朝
情景場所 新大橋
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離 620m
ブロック別 平和記念公園・周辺地区
作者による説明 **絵の中
新大橋
目鼻さえわかぬ学徒の熱いとううめき残れり耳底深く
水求めて川に果てける学徒らの群忘らえず三十年を経ぬ
市女の1年生(277名)2年生(264名)が材木町東側(元安川)ニ中1年生(308名)が西側(太田川)に集合家屋疎開工事の勤労奉仕に着手直後で全部熱傷即死水を求め川に果てられた人が非常に多いかったと云うことです。七日朝現地に行ったときニ中の人1人だけ(熱い)とうめくものがありました。然し何もする術もなく川辺から古菰を引き上げてかけて上げたら蚊ような声で(ありがとう)と云われた一言は13才で逝かれる人の最后の言葉である事を思えば今もなお耳底をはなれません
山根寿登 (68)-右手萎え左手で描きました
サイズ(cm) 27×38
展示の説明文 忘れられない動員学徒の最後の言葉
爆心地から600m 新大橋(中区 西平和大橋)
1945(昭和20)年8月7日朝
山根 寿登(原爆投下当時38歳、絵を描いた時の年齢68歳)
絵中解説
市女の1年生(277名)2年生(264名)が材木町東側(元安川)、県立ニ中1年生(308名)が西側(太田川)に集合。家屋疎開工事の勤労奉仕に着手直後で全部熱傷即死。水を求め、川に果てられた人が非常に多かった云うことです。
七日朝現地に行ったとき、県立ニ中の人、1人だけ「熱い」とうめくものがありました。然し何もする術もなく、川辺から古菰を引き上げてかけてあげたら蚊のような声で「ありがとう」と云われた一言は、13才で逝かれる人の最後の言葉である事を思えば今もなお耳底をはなれません。

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