識別コード | GE11-35 |
---|---|
絵の内容 | 倒壊した学校 |
作者名(カナ) | 永尾 勝實(ナガオ カツミ) |
作者名(英語) | Katsumi Nagao |
当時の年齢 | 42歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/8(時刻)10:00過ぎ |
情景場所 | 広島工業専門学校と市立第二工業学校の正門 |
情景場所旧町名 | 千田町三丁目 |
情景場所現町名 | 千田町三丁目 |
爆心地からの距離 | 2,060m |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | **絵の中 広島工専と市工の校門 昭和20年8月8日(水)晴 講堂 工専 校長室その他(事務職員室) 市工 廣島市立第二工業學校 廣島工業専門學校 千田町校門 **裏 日時 昭和20年8月8日(水) 晴 前10時すぎ 場所 広島工専と市工の正門 説明 勤務校を訪れた 市立2工は広島工専(現在の広大工学部)内にあり学校長は併任であった 市工の専任職員は10名で専門科目は工専の教授が兼務した一部を除き10幾棟が南に傾き又破壊していた 感想 工専と市工の復興についての美談の大要工専破滅について次の様なことがありましたが詳しい資料がないし忘れても居るので大要を申します 美談 当時政府には金がなく国立校の復興は全く手がつけられない 北沢校長も色々請願され職員会を開いては検討されたが手のつけようがない これをきいた学生諸君が2ヶ月の休学を申し出て映画会やアルバイトで金をつくり再興したいと申し出た 校長も許可されて假校舎建築の1/10位な金ができた これをきいた清水組が感激し金は何時でもよいから予想される假校舎を建てましょうと申し出た 当時校内に製材所(露天)ができ間もなく完成した 次の校長に中江大部先生が就任され市工の方も市に申し出て建設されたが扨清水組への不足分を工面するので困っているなど中江校長さんが我々にも話しておられた 中江校長は広大工学部になっての最初の部長である ご健在かどうか昨年まで賀状を戴いていたが今年は来なかった 工学部の先生か事務官の方に当時の事情を知って居らる人があるかも知れない |
サイズ(cm) | 25.5×35 |
展示の説明文 |