トップページ原爆の絵やけどをした患者を手当てする医師と運動場での火葬
識別コード | GE11-23 |
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絵の内容 | やけどをした患者を手当てする医師と運動場での火葬 |
作者名(カナ) | 田村 孝子(タムラ タカコ) |
作者名(英語) | Takako Tamura |
当時の年齢 | 16歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/13 |
情景場所 | 大河国民学校 |
情景場所旧町名 | 旭町 |
情景場所現町名 | 旭一丁目 |
爆心地からの距離 | 3,150m |
ブロック別 | 比治山・仁保地区 |
作者による説明 | **別紙(絵裏貼付) 新型爆彈投下される。70年間草木もはえぬとの新聞報道に私達はびっくり、おそれおのヽきました。 広島市から少し離れた所の病院で、その患者を、はじめてみました。 顔をみても誰だかさっぱりわからない。 たこをゆがったようにふくれあがり、ひふは、紫色になり、焼けたヾれていました。 胸の名札で誰だかわかりました。 広島市に救援に集まってきました。焼け残った建物に患者が、ぎっしりつまっていました。 運動場のすみに、木をつんで毎日死んでいく人達を焼き、たちのぼっていくその煙をなんともいえないうち淋しい気持でみていました。 患者につける薬は、赤チンしかないのです。皮膚の下ではうじむしが動きまわっていました。 **裏 頼島孝子 44才 |
サイズ(cm) | 38×54 |
展示の説明文 |