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原爆の絵

識別コード GE11-08
絵の内容 収容所に収容されている被爆者
作者名(カナ) 石川 文恵(イシカワ フミエ)
作者名(英語) ISHIKAWA Fumie
当時の年齢 16歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/7(時刻)昼頃
情景場所 己斐国民学校
情景場所旧町名 己斐町
情景場所現町名 己斐上二丁目
爆心地からの距離 3,050m
ブロック別 己斐・草津地区
作者による説明 **絵の中
昭和二十年八月七日。
己斐小学校。教室の中の被爆者。
皮ふはやけたヾれ えぐられ、皮はぶら下り 耳はちぎれ、爪ははがれ
火ぶくれ、目をむき、歯をくひしばり、わら筵の上に並べ寝かされた人達
「水・水・水くれーえ」「水を呑ませてやー」
救護の人が大きな「やかん」で水を注いで廻る。大方の人が死んで居る様だった。
死体を、またいで 弟に似た様な背恰好の死体をのぞき込み乍ら探し廻る。足の踏み場もない、此の世の地獄図であった。
こヽでも弟は見つからなかった。合掌。
**裏
広島市己斐小学校収容所
   石川文恵 47才
旧姓 幸本文恵
**実態調査
皆焼け爛れて半死半生。中には死んだ人もあった。藁のむしろが板の間の教室に並べて敷かれ、その上に寝かされて居た。もっともっと重る様にびっしり寝かされて居り、弟が居ないかと一人一人のぞいて歩く。やけどの人を跨げ。手や足を踏まない様に歩く。私の精神状態も普通ではない。この修羅場をよく歩けたと思います。
サイズ(cm) 27×38
展示の説明文 むしろに寝かされた息も絶え絶えの被災者、そのほとんどが死んでいる
爆心地から3,050m 己斐国民学校の教室
1945(昭和20)年8月7日
石川 文恵(原爆投下当時16歳、絵を描いた時46歳)
絵中解説
皮膚は焼けただれ、えぐられ、皮はぶら下がり、耳はちぎれ、つめははがれ、火膨れ、目をむき、歯をくいしばり、わらむしろの上に並べ寝かされた人達。「水、水、水くれーえ」「水を飲ませてやー」。救護の人が大きなやかんで水を注いで回る。大方の人が死んでいるようだった。足の踏み場もない、この世の地獄図であった。合掌

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