menu

トップページ原爆の絵ガラスで負傷した本人、ひきうすをもって逃げる老人、あたりには黒い雨が降っている

原爆の絵

識別コード GE11-05
絵の内容 ガラスで負傷した本人、ひきうすをもって逃げる老人、あたりには黒い雨が降っている
作者名(カナ) 嘉屋 文子(カヤ フミコ)
作者名(英語) KAYA Fumiko
当時の年齢 31歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)11:00頃
情景場所 南観音町
情景場所旧町名 南観音町
情景場所現町名
爆心地からの距離 2,800m
ブロック別 吉島・舟入・観音地区
作者による説明 **絵の中
① 八月六日午前十一時頃か南観音町 私は頭、腰、脚外傷で畠に運ばれたガラスを全身にうけた。
一人の老人が重いヒキウスをさげてにげてきた。この老人も数時間後に死んでゐた。
黒い雨
黒い雨が降ってきた。何であたかわからない
畠に運ばれた私はジット寝たまま出血を止めることに努力
ヒキウス…当時は何でもひいて粉にしてゐた大切なゝゝものであった。石で重いのに軽くさげてゐた。
**裏
①八月六日 午前十一時 南観音町 畠の中
嘉屋文子 61才
医師
(昭和十六年徴用で県庁に勤務。公務員医師は疎開出来ず、一・八キロ地点で被爆)
**実態調査
外傷の私は(腰を日本刀で切りつけられたと今でも思ってゐる。サット服(モンペ)の上から切れたら1歩も歩けない。余り腰がビショビショするようなのでさわると手が入る にげる人をよんで見てもらったら(筋ニク)が動くと云ってにげてしまった 仕方ないからじっと動かないで止血をする事にした 顔のキズは出血多く右脚も5-6ヶ所口を開けてザクロの様に見えた。私の診療所のレントゲン牧師が火が近くなるからと畠まで運んでくれた。そこで、テントも何もない炎天下にころがされてゐた時に雨が降ってきた。夕立と思っていた。日暮れて三菱造船所に運ばれたが一番重症のため放置され、夜半近くに医師、看ゴ婦が数回の空襲に逃げて行く唯一人おいていかれた。傷口を縫合するのが数回にわかれそのたびに逃げる(空襲)傷口にガーゼものせず、逃げるのが精一杯。一人残された私は淋しさと死をカクゴしてゐました。でも今日まで生かされ少しでも何かのお役にたてばとがんばってゐます。
サイズ(cm) 31×41
展示の説明文 黒い雨が降る中、畑に横たわる負傷者のそばを、大切なウスを抱えて避難する老人
爆心地から約2,800m、南観音町
1945(昭和20)年8月6日午前11時頃
嘉屋 文子

戻る

Page Top