識別コード | GE11-02 |
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絵の内容 | 郊外へ逃げる無数の被爆者 |
作者名(カナ) | 石橋 シヅヲ(イシバシ シヅヲ) |
作者名(英語) | Shizuo Ishibashi |
当時の年齢 | 36歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)10:00過ぎ |
情景場所 | 太田川三滝橋上流(山本川付近) |
情景場所旧町名 | 新庄町 |
情景場所現町名 | 新庄町 |
爆心地からの距離 | 3,200m |
ブロック別 | 三篠・祇園地区 |
作者による説明 | **絵の中 土手道 山本川 **別紙(絵表貼付) 此の絵の場所は現在の太田川放水路に架る三滝橋東詰より北方二、三百米附近で八月六日午前十時過頃の状況です 両手を前に持ち上げ上半身の皮膚がくるりと剥げ下り恰も千切れた輪裾よけが下った様に見える人々が断続して行く此の土手道は新庄橋袂で県道と接続して居る 当時此の土手道は髙さ約三米の盛り土の堤防で其の頂部を巾一、五米位の道が通り山本川の側は竹薮だった。此の竹薮の中に頭を揃え一列に並べて寐せてあった 此れは大芝小学校を宿舎にして居た兵隊が作業に出発寸前を爆激され其の爆風で運動場へ吹き飛ばされ死亡者や自由不能の大負傷者ばかりを艦載機の来襲に備へて空から見えない竹薮の中へ私等が運んで来たのですと近くの胡瓜畑に身を潜めて避難して居た私の隣に居た兵士の話でした 約十日位い後に此処を通って見れば竹が全部南側は黒く焦げ北側は緑でした。 (註)後日原爆の話の時に或る母親を亡くした婦人の話に被爆すると熱々と叫び乍ら井戸端に走り寄り着物を脱ぎすて頭から井戸水をかぶられました すると直ちにやけどした上半身の皮膚がくるりと剥げてぶら下りました 翌日死亡しましたと此のお話を聞いて私は疑問が解けました 石橋シヅヲ **別紙の裏 私の著書「花を友に」 ピカ体験の見聞記を153頁~163 163~171 222~223に記し居ります |
サイズ(cm) | 33×41 |
展示の説明文 |