トップページ原爆の絵工兵橋を渡り東練兵場方面へ逃げる負傷した人々
識別コード | GE10-43 |
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絵の内容 | 工兵橋を渡り東練兵場方面へ逃げる負傷した人々 |
作者名(カナ) | 西谷 辰雄(ニシタニ タツオ) |
作者名(英語) | Tatsuo Nishitani |
当時の年齢 | 37歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)11:00頃 |
情景場所 | 工兵橋 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | 2,320m |
ブロック別 | 基町・白島地区 |
作者による説明 | **絵の中 三時間位いて外に出たが何が何か解らす負傷した人々が通称工兵橋と云ふつり橋を一杯になって西練兵場方面(山の方)に向かって逃れていました 向ふ岸近くに有る石油タンクが二基か三基有ったがニュース映画さながらにものすごく真赤な炎を上げて燃へさかっていました 一週位たって此所に来た時川底に沈んでいた二、三十㎝位の魚を福食にするので上げてみたら全部頭から尾まで背ヒレが取れていました ホーシャノーのせいか? |
サイズ(cm) | 25×35.5 |
展示の説明文 | 工兵橋を渡り東練兵場へ逃げる 爆心地から2300m 工兵橋 1945(昭和20)年8月6日 11:00ころ 西谷 辰雄(原爆投下当時37歳、絵を描いた時66歳) 絵中解説 負傷した人々が、工兵橋というつり橋を一体になって東練兵場方面(山の方)に向かって逃れていました。向う岸近くに石油タンクが二基か三基あったが、ものすごく真赤な炎を上げて燃えさかっていました。 |