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トップページ原爆の絵燃えつきて燃えるものもない街中で真青な火が燃えていた。下の方からうめき声が聞こえてくるようであった。

原爆の絵

識別コード GE10-38
絵の内容 燃えつきて燃えるものもない街中で真青な火が燃えていた。下の方からうめき声が聞こえてくるようであった。
作者名(カナ) 田中 常正(タナカ ツネマサ)
作者名(英語) Tsunemasa Tanaka
当時の年齢 25歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/9(時刻)夜
情景場所 西練兵場憲兵隊跡
情景場所旧町名 基町
情景場所現町名 基町
爆心地からの距離 360m
ブロック別 基町・白島地区
作者による説明 **絵の中
死の街 広島の夜景
燃えつきてもう何も燒けるもののない街の中で
火がメラゝいやボウゝかな・・・・・・
直径約三メートル、髙さ一.五メートルもあったろうか?
真青な火がまるで音をたてているかのように燃えていた
ここではどれ程の被爆死体が燒かれたのであろうか・・・・・・
燒跡は小山をなし、下の方からうめき声が聞えてくるようであった
元西練兵場の一角憲兵隊のあった場所だと思う**裏
私達は原爆投下後三日目に広島復旧の命令を受け、当時山口の駐屯地より秋穂二島の演習を中断して広島に行った
早朝己斐駅に下車、中心部に設営した
ところが昼食を炊くにも薪はなく、止むなくあちこちの死体燒場より燒残りの薪を集めてやっとお茶をわかしたり飯を炊いた
風呂は五ヱ門風呂の良いのを物色し、出放しの水道管の近くに用意した。
ところが陽が落ちて暗くなると野風呂のすぐ近くのそこ、ここに瓦礫の下敷きになって腐っている死体から青白い火が出ているので誰も風呂に入らなかった
昼間は肉身や知人の安否を気遣って右往左往する人も夜はばったりどだえ生き者の姿は通りにはなかった
屍臭が広島の夜空にただよい寝苦しい夜が続いた
表の絵はいろゝの想い出の中で私の最も印象に残るもヽの一つですが、とても表現できません
私は、昭和十六年四月九日に輜重隊に入隊し二十年七月二日山口市宮野に大国師団(萩地区防衛)の一員として移動、九月二十二日部隊解散までの約一ヶ月余り広島の復旧作業に從事しました
農業 田中常正 55才
サイズ(cm) 36×25
展示の説明文

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