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トップページ原爆の絵校庭を泣きながら逃げる女学生

原爆の絵

識別コード GE10-05
絵の内容 校庭を泣きながら逃げる女学生
作者名(カナ) 前田 栄(マエダ サカエ)
作者名(英語) Sakae Maeda
当時の年齢 40歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)投下直後
情景場所 市立第二国民学校
情景場所旧町名 南観音町
情景場所現町名 南観音三丁目
爆心地からの距離 2,500m
ブロック別 吉島・舟入・観音地区
作者による説明 **絵の中
二階廊下で爆風により脊骨が入り乱れ動けなくなった女性徒。原爆投下直後動員学徒(女生徒)が爆風によるガラス、木材の飛来を受け血だるまになり泣きながら校庭に走り出た様子。一階教室入口で伏せた男生徒の指先に柱(床面でつぎ柱となっていた)が来て動けなくなった。後で指を切って救出された。

**裏
祈死歿生徒の冥福 原爆投下直後の体験

一、 日時 昭和二十年八月六日 午前八時過ぎ原爆投下直後

二、 場所 廣島市南観音町 広島市第二国民学校
(高等科のみの学校で現在の中学に当る)

三、 当時の学校の状況
夏休暇の八月でありながら休暇を返上して全員軍需工場に動員された。四月の一ヶ月だけ学校で普通の授業をして五月より動員学徒となった。
学校には学級担任以外の職員が動員本部付として居残った。

四、 繪の解説
女子の一学級が広島印刷会社に動員されていた。当会社は軍用の用紙類を印刷し整理梱包して戦地に送るのであるが、学校の教室が全部あいているので、学校工場として作業を学校で行っていたのである。
校庭に走り出た生徒のやけど、流血に、ほどこすすべはなく、只少量の給食用食用油をバケツに出して雑巾で顔面つける事しか出来なかった。
其の後、家庭又は身寄りに行く事にしたが、市内は火の海と化したので一般避難者にまぎれ、又は故郷に行き、行き場のない者再び学校に来て防空壕の中で何日も過したのである。

自分も此の繪と同一の状態であったのである。


元第二国民学校教員 前田栄 記
サイズ(cm) 26.5×37.5
展示の説明文 『図録 原爆の絵 ヒロシマを伝える』
〔作者のことばから〕要約
血だるまになり泣きながら走る女生徒
校庭に走り出た生徒のやけどや流血に、ほどこすすべはなく、ただ少量の給食用の油をバケツに出して、ぞうきんで顔面につけることしかできなかった。
8月6日 投下直後
2,500m/市立第二国民学校
前田 栄

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