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トップページ原爆の絵救援隊として市内で死体処理にあたる。火災は続き建物の下敷きになった人々の助けを求める声が聞える。

原爆の絵

識別コード GE09-21
絵の内容 救援隊として市内で死体処理にあたる。火災は続き建物の下敷きになった人々の助けを求める声が聞える。
作者名(カナ) 中村 嘉作(ナカムラ カサク)
作者名(英語) Kasaku Nakamura
当時の年齢 45歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/7、8/8(時刻)10:00(8/7)~9:00(8/8)
情景場所 広島駅、猿猴川、比治山、御幸橋、京橋川
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離
ブロック別 牛田・広島駅周辺地区
作者による説明 **絵の中
原爆投下の翌日8月7日応援隊として参加した時の状態
向洋方面の屋根瓦はいたる処がはぎとられている
(昭和20年8月7日10時広島駅)
広島駅は破壊され跡形もなく鉄道に倒れてしまっていた
(昭和20年8月7日広島駅前10時)
黒煙が立ち上がり燃えさかっていた。食物関係の倉庫と聞く
(昭和20年8月7日猿猴川にて)
橋下駅に引かかっている死体
身内の者であったらどんな気持になるだろう
これが恐しい戦争の姿だったのか?
比治山
(昭和20年8月7日18時)
比治山裾野にて300余名の死体を山積にして焼く、丸でゴミをかき集めた様である 死体に石油をかけて焼いた
翌朝もまだ火は燃えていた
昭和20年8月8日10時
京橋川にて市内で焼き切れない死体を船に積み似島へ運ぶ
京橋川
こわれた建物の下敷になり眞黒になった顔又、姿は見えぬが、木の下敷の悲めい
水を水を下さい・・・・・・・
助けて下さい・・・・・・・
早く殺してくれ・・・・・
目の当りに見る生き地獄
人間の世界にこの様な事が行われて良いのだろうか?・・・・・
建物の下敷になってる人 死体整理のため既に道路に並べ出されている死体を1人ひとり確認して歩るく 犠牲者の身内や知人 申訳ない気持ちのうかがえる死人をまたぐ人びと
応援隊
猿猴川
的場
紙屋町
御幸橋
原爆の炎の中のうめき声
むざんな姿は絵にも描けず
(昭和20年8月7日夜)
応援隊40名高屋村消防団が宿泊したお寺
壁は落ちて蚊と悪臭で眠れない御幸橋附近
栗毛の大きな馬が夜通しくるった様にヒヒヒーゝと泣き乍ら大き穴を掘っている。
可哀想と思ってもどうする事も出来なかった
翌朝死寸前の状態で倒れていた
後に聞くやはり死んだとのこと。
昭和20年8月8日9時
死体の手足の10cm位先から手袋の様に皮膚がぽっくりとれる
担架に乗せ乍ら思わず目をそむける
御幸橋附近にて
家のあい間から白いほのおが立ち上がる中を死にせまる人びと叫び声が聞える
あれから30年たった今も尚昨日の様に思い出される
むざんな人間の姿。忘れようとして忘れる事は永遠に出来ないであろう
二度と許すことの出来ないこの事実
75才にして強く世に訴える!!
**裏
中村嘉作 75才
サイズ(cm) 38×54
展示の説明文 焼け跡に入る救援の人々
1945(昭和20)年8月7~8日
絵/中村嘉作氏
道路には爆風で倒壊した建物の瓦礫が散乱し、救援のトラックの通行の妨げとなっていました。そのため、道路の整理作業は、負傷者の救護活動と平行して行われ、軍隊や各地から来た警防団が作業にあたりました。

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