トップページ原爆の絵大きなコンクリートの下敷になった人を助け出す
識別コード | GE09-12 |
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絵の内容 | 大きなコンクリートの下敷になった人を助け出す |
作者名(カナ) | 植田 ミツコ(ウエダ ミツコ) |
作者名(英語) | Mitsuko Ueda |
当時の年齢 | 26歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)8:15頃 |
情景場所 | 金屋町郵便局前 |
情景場所旧町名 | 金屋町 |
情景場所現町名 | 金屋町 |
爆心地からの距離 | 1,700m |
ブロック別 | 比治山・仁保地区 |
作者による説明 | **絵の中 8月6日金屋町郵便局前 八月六日晴 午前七時半頃空襲警報発令しました。(生後)八十日目の子供を背負い地下で待避して居りました。直ぐに解除になりました。安心して金屋町郵便局に僅かなる貯金をと窓口に。通帳を出すと、同時にパァンとすごい音目から火花が出た様な痛みと共に身体が中に浮きどんとほうり出され、あっ直撃を受けたと、泥くさい悪臭十分位立ちし頃少しづヽ明るくなり、手探りしますと、大木の電柱が倒れその上に壁が子供を背負ったまヽ下敷、私は、無我夢中で、這出る事が出来ました。見ればどんゝ人は逃げ出している様子。あちこちの人のうめき声私は、足を引きずり乍ら一度家路にと見れば大きなコンクリートの下に、男子の方がうめいて居られ、一人でも助けて上げ度いと思い平素の訓練がものをいってテコにする棒切れをひろって、その人を、お助けする事が出来ましたが、見るに、しのびないお顔耳も鼻もとれ、足は立てませず、私はごめんなさいゝとそのまゝにして、おいてけぼりをしました。その人は、あのまゝ焼死されたのでは無いかしらと心苦しく思います。毎年自分の夫(原爆死)と共に御めいふくを祈って居ります。けれど合掌。 此の方は今は亡きか? **裏 植田ミツコ (56才) |
サイズ(cm) | 38.5×54 |
展示の説明文 | 金屋町郵便局前、建物の下敷きになった人を助けたが見るに忍びない姿 爆心地から約1.7km 昭和20年8月6日8時15分頃 植田 ミツコ |