menu

トップページ原爆の絵救護所となった教室は重体の人でいっぱいでムシロをもらい校庭で二晩過ごす

原爆の絵

識別コード GE08-09
絵の内容 救護所となった教室は重体の人でいっぱいでムシロをもらい校庭で二晩過ごす
作者名(カナ) 植田 ミツコ(ウエダ ミツコ)
作者名(英語) Mitsuko Ueda
当時の年齢 26歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/6
情景場所 府中国民学校
情景場所旧町名 安芸郡府中町本町
情景場所現町名 府中町本町二丁目
爆心地からの距離 4,800m
ブロック別
作者による説明 **絵の中
広島の空
水水
水をくれ
みず
うめき声うんうん
府中小学校
 私共は平素府中小学校に避難するようになっていました。黒い雨が降ってき人の顔はどの顔も灰色になって手、足、ほほは、皮がぶらゝ下がり、二目とは見れない顔でしたのに、その上、黒い雨に、一層、みにくヽ自分もやはりでも私は皆さんの様に皮はとれて居ませんでした。府中の学校は私が着いた時は、教室は重体の人で一ぱい 私共は外庭にムシロを敷いて貰って二晩過しました。一緒の女の方が下着だけで四才の女の子を家の下敷になったのを救い出すことも出来ず、そのまヽほって来た。市内の真赤に染った空を見、半狂乱に、なって、どう慰めてよいやら…悲しい二夜でした。御性名も忘れ三十年立った今、昨日のことの様に胸が痛みます。私も八十日目の乳児をまもなく死なせてしまいました。合掌。
**裏
植田ミツコ 
(56才)
サイズ(cm) 38.5×54
展示の説明文 教室は重体の人でいっぱい。私たちは外庭にムシロを敷いてもらって二晩過ごしました。家の下敷きになった四才の女の子を救い出すことができず、そのまま放ってきた女の方が、真っ赤に染まった空を見上げ、半狂乱に。どう慰めてよいやら…悲しい二夜でした。

戻る

Page Top