識別コード | GE07-43 |
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絵の内容 | トラックで負傷者を運ぶ |
作者名(カナ) | 松室 一雄(マツムロ カズオ) |
作者名(英語) | MATSUMURO Kazuo |
当時の年齢 | 32歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)17:00頃 |
情景場所 | 比治山橋付近 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | 1,710m |
ブロック別 | 比治山・仁保地区 |
作者による説明 | **絵の中 被爆者の収容 宇品港より似の島や金輪島などに救護のため連れて行かれたとの事 しかし目的地に着いた時は、すでに死んでいる者も多かった S.20.8.6. P.M5.00頃 比治山線 比治山橋附近 (爆心地より1.6km.) 警防団員の活躍 この様な沢山な被爆者の手のつけられない結果が、あの「似の島での発掘・・・・」となった 火葬する間が無く、うじ虫がわく、で何百人という死体を砂浜に穴を掘って、大根を漬ける様に、ギッシリ埋めた 一番夛いのは、3m×3mの穴、深さ1.8mで600人位の人骨が出たと聞く S.49.8. 松室一雄(61才) |
サイズ(cm) | 27.5×38 |
展示の説明文 | 負傷者をトラックに乗せて運ぶ 絵/松室一雄氏 1945(昭和20)年8月6日午後5時ころ 爆心地から約1,700m 比治山橋付近 市内中心部の道路は、がれきの山となり、猛烈な火災で車の通行は困難でした。かろうじて、火のない場所まで逃げのびた人々のうち、重傷の人は軍のトラックで宇品などに運ばれました。 |