識別コード | GE07-21 |
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絵の内容 | 救護所内の手当の風景 |
作者名(カナ) | 嘉戸 多恵子(カド タエコ) |
作者名(英語) | Taeko Kado |
当時の年齢 | 28歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6 |
情景場所 | 廿日市国民学校構堂 |
情景場所旧町名 | 佐伯郡廿日市町 |
情景場所現町名 | 廿日市市住吉 |
爆心地からの距離 | 11,700m |
ブロック別 | |
作者による説明 | **絵の中 “心に焼きついて私の脳裡より離れ得ぬもの” いまわしい八月六日!! 広島原爆被爆者の片目に大きな棒が突きささってなかゝ抜けない。力一杯両腕に力を入れてやっと抜けた棒切れは直径3cm長さ40cm ああ!あの人はどうしたろう。 廿日市小学校講堂は緊急救護所 此の世の地獄だ!! 待ちなさいよ 直ぐですよと間に合せ看護婦さん 若かりし頃の自分(県病院時代) 痛い!痛い助けて下さい!! 水を下さい!水!水! 水!水!苦しい苦しい!水を下さい! 広島市内より廿日市にどんゞ運ばれてくる被爆者 ガーゼ 繃帯不足、消毒出来ない有様! 三日位目かガーゼを傷口よりはがせばうじが並んでゐた ガーゼ不足 古いうみガーゼはリゾール水でしぼり傷口にあててゐた。二日後、三日後患者は次第に死んで行く。夜半、先生!先生!と戸を叩く 死体焼場も一杯だった。 Taeko Kado **裏 嘉戸医院(嘉戸多恵子) |
サイズ(cm) | 38.5×53 |
展示の説明文 |