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トップページ原爆の絵燃える市内、本川国民学校での救護、校庭や川の中の死体

原爆の絵

識別コード GE05-22
絵の内容 燃える市内、本川国民学校での救護、校庭や川の中の死体
作者名(カナ) 有馬 元(アリマ ハジメ)
作者名(英語) Hajime Arima
当時の年齢 45歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/6~8/7(時刻)18:00~翌日12:00
情景場所 本川国民学校~相生橋付近
情景場所旧町名 鍛冶屋町
情景場所現町名 本川町一丁目
爆心地からの距離 410m
ブロック別 平和記念公園・周辺地区
作者による説明 **絵の中
八月六日午後6時頃より翌日正午頃まで本校にて看護す 三宅外科前のポンプより水を汲み5-7回古バケツで両手に持ち通って患者さんたちに飲ませた 完全に即死ばかりではなかった。被爆後2-3日からそれ以上も生きていた人も多かった。校舎内に多数の負傷者に水を飲ませた
至十日市
鷹匠町
佐官町
浜島医院跡
水槽の中に小学生3年位の死体・2-3体
完全装備の将校の死体
校舎の爆心地側は、爆風に依りコンクリートの壁がぬりこむ様に凹んでいた。
講堂の骨組
本川国民小学校
三宅外科跡
ポンプ
電車
逃げて来る負傷者たち
救助活動中の警察官
本川
相生橋
至紙屋町
川の中は火に追われて水に入りそのまま死んだ人と家屋の木片でいっぱいだった 数はもっと多かった様に思う。
橋の手すりの南側は完全に北に倒れていて北の方は川に落ちてなくなっている。路面もめくれ上っている。
元安川
中島

有馬 元
七六才
サイズ(cm) 38×54
展示の説明文 本川国民学校付近、火災があちこちで起こり多くの死傷者が横たわる爆心地付近
爆心地から約400m、鍛冶屋町(現在の本川町)
1945(昭和20)年8月6日午後6時頃
有馬 元

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