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トップページ原爆の絵真黒こげの赤子の遺体をかかえて歩く母親

原爆の絵

識別コード GE05-12
絵の内容 真黒こげの赤子の遺体をかかえて歩く母親
作者名(カナ) 好井 博(ヨシイ ヒロシ)
作者名(英語) Hiroshi Yoshii
当時の年齢 25歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)8:40頃
情景場所 尾長町片河の自宅前
情景場所旧町名 尾長町
情景場所現町名 山根町
爆心地からの距離 2,900m
ブロック別 牛田・広島駅周辺地区
作者による説明 **絵の中

八月六日 八時四十分頃 元津村秀吉方の貸家
場所 尾長町の自宅前にて
愛宕町方面より続々と焼けたヾれた人達が岩鼻方面へ必死にのがれて行くその中に若い女性が何か大事そうにかかえて来る。よく見ると肉のかたまりの様である生後間のない赤ちゃんではないか、顔は二度と見られない無残な姿、目も鼻も口も焼けて丸い顔だけ耳もとけている母親も両目はふくれて細い目を懸命に見開くようにしてあるいて行く 口びるは上下とも大きくそり返っている それでも赤ちゃんの死体をかヽえて懸命にのがれて行く姿を見た時涙で見えなくなった 母性愛の姿、地ごく絵にも見られない悲劇を三十年たつ、今私の瞼にはっきり焼付いてはなれない。
この記事は国労本部(このいかりを)の原爆体験記に発表してある一部です。その当日の日記帳より思い出して記す。
好井博 55才

**実態調査
私の自宅は広島駅から府中町へのバス路線で表通りの宅地で、次々と市内から行列で全部裸体の地ごくの絵でもない風景の中に、女の人が何か丸い物をかかえてくる。近づいてみると生後間もない赤ちゃんは耳や鼻はなく、丸い肉のかたまりを胸にしっかりかかえて行った。思い出しても全身みぶるいする。 
サイズ(cm) 27.5×39
展示の説明文 死んだ我が子を抱きかかえ、逃れる若い母親を見て涙した
爆心地から2,700m 尾長町(東区山根町)
1945(昭和20)年8月6日 午前8時40分頃
好井 博(当時25歳、絵を描いた時 55歳)
絵中解説
続々と焼けただれた人達が必死にのがれて行くその中に、若い女性が何か大事そうにかかえて来る。よく見ると肉のかたまりの様な生後間のない赤ちゃんではないか。顔は二度と見られない無残な姿。それでも赤ちゃんの死体を抱えて懸命にのがれて行く姿を見た時、涙で見えなくなった。母性愛の姿、地獄絵にも見られない悲劇を、三十年経つ今私の瞼にはっきり焼き付いてはなれない。

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