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トップページ原爆の絵似島から救護に向う途中、負傷した市民を満載した民船群に出あう

原爆の絵

識別コード GE05-04
絵の内容 似島から救護に向う途中、負傷した市民を満載した民船群に出あう
作者名(カナ) 後藤 利文(ゴトウ トシフミ)
作者名(英語) Toshifumi Goto
当時の年齢 19歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)8:45
情景場所 似島から宇品への船上
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離 7,000m
ブロック別
作者による説明 **絵の中
昭和二十年八月六日午前八時四十五分 広島市陸軍火薬庫新型爆弾爆発か、又は、飛来した米軍機が新型爆弾投下によるものか。わからぬまま私達似島検疫所駐とんの陸軍船舶部隊衛生隊中、広島市内出身者八名は命により舟ていにて先行。医薬品は爆風による骨折、傷、うち傷が多いものと思いそれらを持って出発似島より宇品港にむかう、しかしまもなく民船群に出あう、全く予期しない情影。それは声もなく満さいされた市民いずれも赤茶色の裸群身にまとうもの焼け切れた布、手をふる者わずか、うつろな声なき顔、一同互の呼吸さえ出ない程全く堅く心も身もひきしまり唯手をあげるのみでした。
広島市内で一体何が起ったのか引率の古兵も歴戦の経験者なのに全く声を出さなかった。いわんや速成教育をすめた吾々八名は人形の様に手をあげただけ
一路似島に向う民船群それに満ちあふれた異様な空気 空は晴れているのにその下では鬼気せまる民船群 忘れ得ぬ出来ごと。市内の陸軍部隊は一体何をしている昨日までどの船にも兵の姿、軍属の姿をみないことの無いのに全く戦時服の姿は一人も見あたらなかった。
宇品港に上陸船舶指令部は前庭に天幕をはり将星達も全く沈黙、椅子に座り動く音も無く、敬礼することも忘れてトラックに乗り市民の流れを逆行して比治山電信隊裏までたどる。途中火災の為専売公社あたりより徒歩。道の両側は赤茶全裸、又は僅かの布をさげた火傷の人波。私は想い出が鮮明になることの悲しくて今まで筆をもたなかったがNHKのテレビで三十年目のこの年にあたり平和へのささえの一枚になるのならとまずいい筆をはこんでみました。
私は一人の姉がこの時間どこでどんなになっているかを、又父や母はと思ったが目の前の出来ごとにかき消されて自分の任務に精一杯の自分になることで悲痛と現実をさけたかったと記おくしている。
後藤利文 S50.6.8画

**実態調査
(軍用船に利用する。ハシケと呼ぶ木造船)
サイズ(cm) 38×54
展示の説明文 似島より宇品港に向かう中、民船群に出合う。声もなく満載された市民。いずれも赤茶色の裸群。身にまとうものは焼け切れた布。手を振る者はわずか、うつろな声や泣き顔。一同呼吸さえできないほど堅く心も身も引き締まり、ただ手をあげるのみでした。

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