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トップページ原爆の絵袋町国民学校に収容された人々の様子

原爆の絵

識別コード GE04-41
絵の内容 袋町国民学校に収容された人々の様子
作者名(カナ) 煙石(土井)二三枝(エンセキ(ドイ) フミエ)
作者名(英語) ENSEKI Fumie, DOI
当時の年齢 24歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/末頃
情景場所 袋町国民学校
情景場所旧町名 袋町
情景場所現町名 袋町
爆心地からの距離 460m
ブロック別 紙屋町・本通地区
作者による説明 **絵の中
当時市役所税ム課事ム員二十四才 あーくるしい早くころして
「市役所のおこつの中で二人ねたこともあります」
「この女の子の父上は広大の先生でした。」
千田舎の広島中学校さかしあるいて二十以上も父母兄姉だれも見つからないのもうだめ一人ぼっちなの なみだで途中ぼしをもらったの
あなたに、うめてある遺宝を全部上るから生を助けて下さいと苦しい生の下でなきさけぶ
おくさんあはれなり
「早く坊やをつれ来てだめくるしい
水をー・・・」
お母さん
「早くお母さんよんで来てあヽいたいよ
くるしそれでも笑顔をむりにつくって
あはれなり」
市役所のお姉さん来てくれたのね嬉しい戦争がにくい
度々見舞にきてね
何も見えない助けて
あ~むざん…
昭和二十年八月末頃
袋町小学校のこわれた中に本庁の市役所からうすされた方々
…なみだでやっとかく
煙石二三枝
(旧生 土井)
**裏
煙石二三枝
サイズ(cm) 25×35
展示の説明文 あ~むざん… 袋町小学校の壊れた中に市役所から移された方々 「あー苦しい 早く殺して」 「早く坊や連れて来て だめ苦しい 水をー…」 「早くお母さん呼んで来て ああ痛いよ」

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