トップページ原爆の絵日赤構内の空地は多くの死傷者で埋まっていた。倒壊した建物の消火作業にあたった。
識別コード | GE04-32 |
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絵の内容 | 日赤構内の空地は多くの死傷者で埋まっていた。倒壊した建物の消火作業にあたった。 |
作者名(カナ) | 増岡 憲治(マスオカ ケンジ) |
作者名(英語) | Kenji Masuoka |
当時の年齢 | 37歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)11:00頃 |
情景場所 | 広島赤十字病院 |
情景場所旧町名 | 千田町一丁目 |
情景場所現町名 | 千田町一丁目 |
爆心地からの距離 | 1,500m |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | **絵の中 日赤構内(八月六日午前十一時頃)には盛に煙を上げて今にも炎上しそうな倒潰建物があった。(現在の原爆病院の辺)又空地という空地は夥しい死傷者で埋まっていた。それらの内生けるは悉く水を欲した。私共は救護機材も人員も持たない。水源を探して漸く火減りしたが、何分にも乏しい水量で一進一退やヽもすると火勢に押しまくられそうになり本館延焼を防ぐのがやっとでこの作業は夜まで続いた。 この作業中フッと私に近づいた人影は入院中らしい白衣姿の陸軍将校でその人は『この倒潰建物の下には十数人の看護婦さんが下敷になっている筈ですが救出の方法もないようですからせめて丸焼になるのは防いで上げて下さい』と云はれた。私もそれに応えなければならぬと必死に努めた甲斐あって全焼を喰い止めた。それには夕刻になって現れた新鋭の消防隊に負う所が多いと思う。 そんな時私は巡査さん巡査さんと呼び止められた。若い姉妹らしい二人連れで、その人等は激しく泣き乍ら、『今お父さんが死にました どうしたらよいでしょう』と問うのであった。私は困惑したが、"貴女方が佐伯郡なら一先づ村に帰って人を頼み大八車でもよいから車両を用意して運んで上げなさい"と答えるのが精一杯であった。 (当時)官設呉消防署 緊急応援隊指揮官 松岡憲治 |
サイズ(cm) | 21×42 |
展示の説明文 |