トップページ原爆の絵倒壊した家屋から脱出し、そのまま亡くなった近所の人
識別コード | GE03-27 |
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絵の内容 | 倒壊した家屋から脱出し、そのまま亡くなった近所の人 |
作者名(カナ) | 上野 馬左登(ウエノ マサト) |
作者名(英語) | Masato Ueno |
当時の年齢 | 42歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6 |
情景場所 | 三川町 |
情景場所旧町名 | 三川町 |
情景場所現町名 | 三川町 |
爆心地からの距離 | 800m |
ブロック別 | 紙屋町・本通地区 |
作者による説明 | **絵の中 上野馬左登 画 S.50.6.25. (当時-広島市三川町在住) 30年前のこと。-早いもので、私も、もう72才を数えた。記憶は定かではないが、あの悲惨な時のことを思い起し、複雑な気持を抱きながら、私の友人、それも我が家の近隣であったK氏の最後の姿を絵にして見た。氏は平素から、その職業がらであらふ、頑健な体躯であった。私は思ふ、萬身創痍の中にも尚頑健さがうかがえ、私も、もしや、まだ-と至近によりながら顔を見上げたが、僅かに一の字に開いた目から眼球がうかがえた。私は思ふに、氏は、一瞬にして倒潰した家屋の下敷きとなり、至難な脱出を、からくも得たが、その間の出血多量や、特に頭部の陥没損傷と思わるるものが、致命的な結果となったのではなからふか、暫くは去り難く、その場につくなみながら幾度も合掌-そして冥福を祈りながら、帰隊した。私も原爆罹災1号、妻は2号だが、今にいつも思ふことは、もう二度とあってはならない、勿論罹災者だけではない。誰もが同じように叫んでほしいものです。 当時 広島陸軍被服支廠(29687部隊) 庶務部庶務係、警防係勤務 戦後S.23.12.1~S.39.10.1 山口県警察本部警務部警務課、警務部秘書課勤務 |
サイズ(cm) | 38×45.5 |
展示の説明文 |