識別コード | GE03-16 |
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絵の内容 | 火傷に苦しみ水を求めて水道に集まる人々 |
作者名(カナ) | 勝田 光子(カツタ ミツコ) |
作者名(英語) | KATSUTA Mitsuko |
当時の年齢 | 29歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)9:00過ぎ頃 |
情景場所 | 陸軍船舶通信連隊、船舶通信補充隊(電信隊) |
情景場所旧町名 | 皆実町、比治山本町 |
情景場所現町名 | 皆実町、比治山本町 |
爆心地からの距離 | 2,220m |
ブロック別 | 比治山・仁保地区 |
作者による説明 | **絵の中 (8月6日午前9時過ぎ頃) (電信隊の中) 水をくれ 水 水をチョウダイ 私達は炎の中をヤットの思いで逃げ水が欲しく、電信隊の中にあった水道に立依りました。 ヤケドで苦しむ沢山な人。只、水、水「水ヲクレ」と叫ぶ人。 「水」とかすかに聞き取れるような哀れな、悲しい声…… こんな人の中で何人の人が生き残られておられるでしょうか。 体の皮フがシャツが破れて下ったようになっている。丸裸で、立つ力もなく、目をおヽいたくなる様な悲惨な姿。 勝田光子 **裏 59才 勝田光子 **実態調査 この絵の中に書いてる事は自分でも良く判りませんが、家屋の下敷となり私達は大した怪我もなかったのですが兵隊さんに助けを求め電信隊に行きましたが、まだゝ、こんな人ではなく沢山な人で、もう立ち上れない方も多く、無惨な姿でした。其の人の姿に驚き、丹那の方に逃げて行きました。 私は五才の子供と妹と三人が被爆しましたが、毎日のように黄色い物を吐いて、苦しみました |
サイズ(cm) | 27.5×38 |
展示の説明文 | 電信隊駐屯地、炎の中を必死に避難してきた数多くの負傷者 爆心地から約2,300m、比治山本町・皆実町 1945(昭和20)年8月6日午前9時頃 勝田 光子 |