識別コード | GE03-04 |
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絵の内容 | 倒壊した病棟から病人を救出する傷痍軍人 |
作者名(カナ) | 池庄司(久保) トミ子(イケショウジ(クボ) トミコ) |
作者名(英語) | IKESHOJI (Kubo) Tomiko |
当時の年齢 | 17歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)11:00 |
情景場所 | 広島赤十字病院裏 木造の南病棟 |
情景場所旧町名 | 千田町一丁目 |
情景場所現町名 | 千田町一丁目 |
爆心地からの距離 | 1,500m |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | **絵の中 日赤裏 タスケテ タスケテー タスケテー **裏 ④ 一時、同寮をさがしに寄宿の方へ行った時。 今まで療養なさっていた、傷痍軍人の兵隊さんが反対に南病棟、寄宿、(当時、病室になっていました)等の木造がつぶされていた為、下じきになった方々をいたる所で助けている姿をみかけました。二度目に行った時は、火はすぐ近くに来ていましたが、必死になって、助けて下さっている姿をみてどうか一人でも多くと心に願ったものです。 あとになって耳にした事ですが食糧の米、その他にガラス破片がまじったのをよりわけ、牛をつかまえ、肉にし、たき出しまで野戦そのもの。日赤職員に変って集って来た方々や、もとよりいる病人の為につくして下さった その後、同寮も何人かすくい出され、感謝しています。病院外の人は各所で、生ながら、このように助けられず、死でいったと思います。 合掌 (思出の一部ですが、つい一週間前同級生を骨髄性急性白血病で失った。その同級生がこのようにして救れ、約三十年生て来ましたが、四月の被爆者検診で発見され、入院治療のかいなく昇天しました。 様々な事を思い出し、いそいで画と云うものを書て見ました。) 六月二十七日 池庄司トミ子47才(主婦) |
サイズ(cm) | 24.5×35.5 |
展示の説明文 |