識別コード | GE02-21 |
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絵の内容 | 川の中の多数の中学生の死体 |
作者名(カナ) | 畝 正登(ウネ マサト) |
作者名(英語) | UNE Masato |
当時の年齢 | 48歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/7 |
情景場所 | 本川 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | 620m |
ブロック別 | |
作者による説明 | **絵の中 昭和二十年八月七日悲惨なる広島市を我が子(二中の一年生)を探し廻り本川に出ました此には中学一、二年位の学徒が川の中土手一ぱい死んでいました あーさぞかし夏休みを楽しみにしていただうに夏休みも返上毎日焼付く様な暑の中をみ国の為と何一つ小言も云はず奉仕しついにはあの恐しき原子爆弾の試験の如くなり火やぶり當然のあの哀な姿 私の目の前には主人を探し出されて身内の方 頭を持ち体をさゝへ足を持ち泣き乍土手に運ばれる気毒な姿 此の有様を見たらいかなる鬼神も涙が出ずにはいられない 今だなほ核実験を重ねつ丶有る国民にあの當時の広島の生大地様を知らせてやりたい |
サイズ(cm) | 38×54 |
展示の説明文 | 無数の中学生が川の中や土手にころがる 爆心地から620m 新大橋付近(現在の西平和大橋付近) 1945(昭和20)年8月7日 畝 正登(原爆投下当時48歳、絵を描いた時77歳) 絵中解説 本川には中学1、2年くらいの学徒が川の中や土手にいっぱい死んでいました。ああ、さぞかし夏休みを楽しみにしていただろうに。夏休みも返上し、毎日焼き付くような暑さの中を御国のためと何一つ小言も言わず奉仕し、ついにはあの恐ろしき原子爆弾の試験のごとくなり火あぶり同然のあの哀れな姿。私の目の前には主人を探し出された身内の方が、頭を持ち体をささえ足を持ち泣きながら土手に運ばれる気の毒な姿。 |