識別コード | GE02-16 |
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絵の内容 | 救護所の様子、皮膚がぶらさがった学徒達 |
作者名(カナ) | 大田 晴代(オオタ ハルヨ) |
作者名(英語) | OTA Haruyo |
当時の年齢 | 18歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)10:00過ぎ頃 |
情景場所 | 比治山下の救護所 |
情景場所旧町名 | 南段原町 |
情景場所現町名 | 段原南 |
爆心地からの距離 | 2,400m |
ブロック別 | 比治山・仁保地区 |
作者による説明 | **絵の中 オイしっかりしろ傷は浅いぞ 母 学徒 **実態調査 時計は止り、時刻はよくわかりませんが、10時過ぎ頃でわないかと思います。比治山のふもと兵器支廠の救護所の中で見た姿です。扇屋商店さんの少し南側の方を山の手に向った所(とても痛々しそう。見る目も憐れでした。)体中、焼けたゝ゛れ、血み泥の顔に、ひからびた眼、手足の皮がぶらさがり、『痛いよう-』『痛いようー』『水を、水を』『アーサンー、アーサン』母を呼び続けている様子だけれど、唇がたゞれ、口はしまらずよだれが、流れ、聞き取れない。かすかな声、わめき声、などが私の脳裡に、こびりついていて、今でも目の前に浮かび来るのです。当時は学生服も木綿が少なくて、化繊だったために熱にトケてしまひ、いっし惑わずの姿になっている学徒達もあり可哀相でした。 |
サイズ(cm) | 25.5×36 |
展示の説明文 | 比治山、野外で手当てを受ける負傷者たち 爆心地から約2,400m、南段原町 1945(昭和20)年8月6日午前8時15分頃 大田 晴代 おおた はるよ |