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トップページ原爆の絵3日目まだくすぶり続ける焼け跡の中、男女の判別もつかない多くの死体を警防団員が火葬していた

原爆の絵

識別コード GE01-25
絵の内容 3日目まだくすぶり続ける焼け跡の中、男女の判別もつかない多くの死体を警防団員が火葬していた
作者名(カナ) 畑 三郎(ハタ サブロウ)
作者名(英語) HATA Saburo
当時の年齢 25歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/9(時刻)14:00頃
情景場所 鷹匠町
情景場所旧町名 鷹匠町
情景場所現町名 本川町二丁目
爆心地からの距離 550m
ブロック別 十日市・中広地区
作者による説明 **絵の中
畑 三郎(55)
**別紙(絵裏に貼付)
昭和20年8月9日、午後2時ごろ、
広島市鷹匠町裏町の通りは、まだくすぶり続けていた。
舗道には、被災死体がごろごろ転っていた。
焼跡では警防団員が余熱の中で死体を焼いていた。
死体は焦げ茶色で、ふくれ上がっており男女別は分らない、肉親でも恐らく見分けられなかったろう。燃える炎の下に伏せ、逃げ遅れた人たちはそのままむし焼きになったようだ。見渡す限りの死体の列だった。
サイズ(cm) 18×26
展示の説明文 見渡す限り一面に散乱する焼死体
爆心地から550m 鷹匠町(現在の中区本川町二丁目)
1945(昭和20)年8月9日午後2時ごろ
畑 三郎(原爆投下当時25歳、絵を描いた時55歳)
絵中解説
鷹匠町裏町の通りは、まだくすぶり続けていた。舗道には被災死体がごろごろ転がっていた。焼跡では警防団員が余熱の中で死体を焼いていた。死体は焦げ茶色で、膨れ上がっており男女の別は分からない、肉親でも恐らく見分けられなかったろう。燃える炎の下に伏せ逃げ遅れた人たちはそのままむし焼きになったようだ。見渡す限りの死体の列だった。

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