トップページ原爆の絵収容されたたくさんの負傷者たち、棧橋に着いた死者を山陰に運ぶ様子
| 識別コード | GE01-23 |
|---|---|
| 絵の内容 | 収容されたたくさんの負傷者たち、棧橋に着いた死者を山陰に運ぶ様子 |
| 作者名(カナ) | 石風呂 政子(イシフロ マサコ) |
| 作者名(英語) | ISHIFURO Masako |
| 当時の年齢 | 28歳 |
| 寄贈者名 | |
| 種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
| 情景日時 | 1945/8/7(時刻)10:00頃 |
| 情景場所 | 似島検疫所 |
| 情景場所旧町名 | 似島町 |
| 情景場所現町名 | 似島町 |
| 爆心地からの距離 | 10,000m |
| ブロック別 | |
| 作者による説明 | **裏 石風呂 政子 |
| サイズ(cm) | 38×54 |
| 展示の説明文 | 桟橋に着いた死体を運ぶ兵士たち 絵・文/石風呂政子氏 1945(昭和20)年8月7日午前10時ころ 似島検疫所 「近所の方と家族を捜しに似島へ。初めて渡ったので、ようすが分からず、ただウロウロする。すでにたくさんの被爆者が収容されていた。やけどした女学生に「おばさん、おかあさんはなぜ来てくれないのでしょう?」と聞かれ、自分の家族のことで頭がいっぱいで何もしてあげられなくて申しわけないと思う。桟橋の方を見ると大きな船で次々と死人を運んで来て、我々に見えないよう、担架を肩の高さにして山陰へ。ついて行こうとすると『これより立ち入り禁止』と言われ、涙を流して合掌する。」 手記より抜粋 |