識別コード | SG-0747 |
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絵の内容 | 広島CIE図書館のおじさん |
作者名(カナ) | 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) |
作者名(英語) | Seigo Nishioka |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 西岡 誠吾 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | |
情景場所 | 広島CIE図書館 |
情景場所旧町名 | 下中町 |
情景場所現町名 | 中町 |
爆心地からの距離 | 650 |
ブロック別 | 2.紙屋町・本通地区 |
作者による説明 | *絵中 広島CIE図書館のおじさん 戦後、GHQの教育改革を担当する民間情報教育局(CIE:Civil Information and Educational Section)の政策で日本国内23か所に図書館の設置・運営がなされました。 広島CIE図書館は、1948年10月30日広島市下中町の旧県立第一高等女学校に設置されました。 閲覧室54坪等建坪140坪のバンガロー風平屋建てでした。周囲の市民はバラック小屋で苦しい戦後の生活を送っていました。 広島CIE図書館が設置された時、私は好奇心旺盛な高校1年生でした。早速図書館に足を運びました。 「CIE」の大きな看板、大きなガラス窓、高い天井、板張り床のワックスの匂い、沢山の本は皆英語等々驚きました。 一番目障りなのは図書館で働くおじさん(日本人)の小言でした。図書館入り口では「靴の泥は良く落とせ」、「静かにせえ」、「本は大事にせえ」。 トイレは和式の水洗式でした。まだ水洗式に馴染まない日本人には特に気を使っていました。 トイレを使用した人が出てくると必ず見に行き、「水を流せえ」「汚れたところを綺麗にせえ」と注意をしていました。 冬は暖房が完備されて居心地がいいのでよく通いました。 見る本は写真集が主でした。 アメリカの生活が夢の様でした。 高校卒業後は行くことはありませんでした。 1952年4月、サンフランシスコ講和条約の発効によって日本の占領が終結したことで、CIE図書館は閉鎖されました。 以上 |
サイズ(cm) | 42×29.7 |
展示の説明文 |