識別コード | SG-0741 |
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絵の内容 | ゲートル巻きと競歩 |
作者名(カナ) | 尾崎 稔(オザキ ミノル) |
作者名(英語) | Minoru Ozaki |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 尾崎 稔 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1944/5頃 |
情景場所 | 修道中学校、御幸橋、宇品港三本松 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | |
作者による説明 | *絵中 ゲートル(巻き脚絆1巻きと競歩(昭和19年5月頃) 中学生になりゲートルを巻く事が始めての子が多かった。確実に巻けない、ユルム、くずれる。こうした事を無くすため、競技があった。(一回だけだった) 敬道館 裏門 御幸橋 三本松(御幸松)明治天皇が明治18年1885年8月4日広島港から呉港へと乗船された時植樹された松。 往復 要点を学び、本校裏門、御幸橋を渡り右折、宇品港前の三本松迄で折り返す競技だった。走るのは苦しかったが以後ゲートルは常に正常だった。少年時代一緒に苦労した彼等。130名近くと1年後には別れると想像もしなかった。原爆とは何だ。無念だ。みんな安らかに。 2023年令和5年2月 尾崎稔91才 *尾崎稔さんのお話より 兵隊さんがゲートルを巻いているので、ゲートルは知っていたが、中学生でゲートルを巻くようになるとは思いませんでした。 今もゲートルを巻くことができます。 ゲートルの巻き方は、上級生や、配属将校が教えてくれました。 当時は学科(勉強)を教えてくれるのは先生でしたが、風紀や精神を教えてくれたのは上級生でした。 |
サイズ(cm) | 27×38 |
展示の説明文 |