識別コード | SG-0734 |
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絵の内容 | 被爆火傷の意識の変化 |
作者名(カナ) | 尾崎 稔(オザキ ミノル) |
作者名(英語) | Minoru Ozaki |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 尾崎 稔 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1948 |
情景場所 | |
情景場所旧町名 | 尾長町 |
情景場所現町名 | 山根町 |
爆心地からの距離 | 2950 |
ブロック別 | 牛田・広島駅周辺地区 |
作者による説明 | *絵中 被爆火傷の意識の変化 (註)先生の氏名を忘却し、調査しました。今だ確認出来ていません。大変申し訳ありません。 先生の被災 大東亜戦争、1944年11月。フイリッピン、レイテ島沖海戦に特攻隊として出撃、敵に撃墜され、海上の火焔の中を漂流中、友軍に救助された。 当時、広島市内の学校で中学校以上では、校舎設立寄附金不用の学校は松本商業中学校のみだった。 2年落第の型で入学した。従い同級生の多くが児童疎開対象者のためか、原爆による被災者は少なく、火傷した子は余り居なかった。唯一先生の中で首から顔面全般を被災している人が居た。 昼休みに用務員室で先生の火傷状況を聞くと、当時の青年は日本人、日本国を守るため命をかけて戦った。その時の傷だと正々堂々と云われた。その言動は心強く感銘した。 こうした出会いなどで、少しづつ羞恥心が薄らいで行った。 2022年令和4年11月 尾崎稔90才 *尾崎稔さんのお話より いつか先生の名前が分かるかもしれないと思い、描いておきたい、残しておかねばと思って描きました。 |
サイズ(cm) | 27×38 |
展示の説明文 |