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トップページ原爆の絵白血病で逝った父2 高校3年の夏休み

原爆の絵

識別コード SG-0732
絵の内容 白血病で逝った父2 高校3年の夏休み
作者名(カナ) 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ)
作者名(英語) Seigo Nishioka
当時の年齢 13歳
寄贈者名 西岡 誠吾
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時
情景場所
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離
ブロック別
作者による説明 *絵中
高校3年の夏休み
1950年(昭和25年)夏。高校3年の私は夏休みに帰省して、何時ものように父の畑仕事を手伝う予定でした。
久しぶりに見る父の姿に驚きました。
父は「体がだるい、体がだるい」と言ってゴロゴロ寝転んでいました。体全体に紫色の斑点が出ていました。
弱音を吐かない「明治男」の父は余程苦しかったのでしょう。
私は畑仕事の手伝いがないので、進学の勉強が夏休み中できたことに満足していました。
しかし、夏休み最後の日に父は「お父さんはこんな体になって、経済的に苦しくなったので、進学を諦めて就職をしてくれ」と言い、私は残念でたまらなかったが、なんだか父がかわいそうになりました。
二学期に入ると就職情報が掲示され、私は一番早い「大手繊維メーカー」の就職試験を申し込みました。父へ手紙で知らせました。
後に母から聞きました「お父さんは目を細めて喜んでいたよ」。

*別紙
父の死
父が村の医者へ行くと「夏バテでしょう。いいものを食べてゆっくりすればいいよ」と言われた。
全く改善されないので、隣町の医者へ行きました。すると医者は驚いて「紹介状を書くから、広島医科大学病院へ行きなさい」と言われました。
11月1日、よく晴れた寒い朝。学校の1時限の授業中、担任の先生から父の死を知らされました。
急いで呉市広町の病院に行きました。
広い病室にベッドが2台あり、その1台に父が横たわっていました。傍に付き添っていた母が「お父さんが死んだんよ」と言いながら、顔を覆っていた白い布を取りました。父の顔は眠っているようでした。
入院3日後の朝、洗面所へ行くとき廊下で倒れて、そのまま帰らぬ人となりました。
医師の説明では、白血球が28万と言う異常の白血病でした。
年末に大手繊維メーカーの採用通知を受け取りました。父が健在なら喜んでくれるだろう。
以上
サイズ(cm) 42×29.7
展示の説明文

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