識別コード | SG-0731 |
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絵の内容 | 白血病で逝った父1 被爆 |
作者名(カナ) | 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) |
作者名(英語) | Seigo Nishioka |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 西岡 誠吾 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1945/8/6 |
情景場所 | |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | |
作者による説明 | *絵中 白血病で逝った父 被爆 1945年(昭和20年)8月6日朝。自転車に乗って帰宅途中、泉邸(現縮景園)前で被爆しました。爆心地から1,200m。 泉邸前の松並木に遮られて熱線を受けなかったが、爆風で倒れた松の枝で後頭部が数センチ切れて酷い出血のため、タオルで傷口を抑えながら自転車に乗って自宅にたどり着きました。 帰宅途中、家屋は倒れ火の手が上がり、けが人がぞろぞろと避難していました。 自宅に着くと、家屋の下敷きになった母を助け出しました。 次に、防空壕の入り口にトタン板を被せ、その上にスコップで土を被せました。防空壕内の食料などの延焼防止のためです。 近所の方々数人を助け出し牛田方面に避難をしました。途中、動けなくなった近所の奥さんを自転車の荷台に逆Uの字に乗せて避難をしました。周りは火の手が上がりみんな急ぎ足で歩きました。 *別紙 被爆前 1903年生まれの父西岡惠三郎は広島市西白島町(現中区)で運送業を営んでいました。 白島の街は軍人やサラリーマンの転出入が多く、その上戦況が厳しくなり建物疎開などで引っ越しが激増して、父の仕事はそれなりに繁盛していました。 一方、隣組の組長を務め地域のお世話をしていました。 |
サイズ(cm) | 42×29.7 |
展示の説明文 |