識別コード | SG-0723 |
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絵の内容 | ピカにやられた英雄ちゃん3 あの日 |
作者名(カナ) | 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) |
作者名(英語) | Seigo Nishioka |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 西岡 誠吾 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1945/8/15 |
情景場所 | 国鉄坂駅前 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | |
作者による説明 | *絵中 ピカにやられた英雄ちゃん 3あの日 8月6日。雲一つないよく晴れた暑い朝。 私は体調が悪いので建物疎開作業を休み、爆心地南2㎞の学校内の作業に行きました。熱線と爆風を受けて火傷とケガをしましたが、多くの人に助けられ、収容所を転々と移動して、沢山の生き地獄を目にしました。 8月15日。坂村(現坂町)横浜国民学校に収容されていましたが、なんとか歩けるようになったので尾道の親戚を訪ねて行くことにしました。 坂駅前で、英雄ちゃんのお母さんとお姉ちゃんを見つけました。被爆後初めて10日ぶりに知った人と出会えて嬉しくなり「おばちゃん、おばちゃん」と手を振りながら大声で叫びました。私の変り果てた姿を見て「あんたはだれね?」と言いました。 私が名前を言うと、おばちゃんは「あんたの家族はみんな生きとるよ。学校のコンクリート塀に書いとったよ」と言いました。私はすぐに「英雄ちゃんは?」と尋ねました。 おばちゃんは「英雄は死んだんよ。最後の最後まであんたの名前を呼んでいたよ。”お母ちゃん”と一言も言わんかったんよ」 私は、英雄ちゃんの死を聞き、家族の無事を知った喜びは吹き飛びました。汽車に乗っても英雄ちゃんの思い出が次々と出てきて、気が付けば涙がポロポロ流れ出ていました。 |
サイズ(cm) | 42×29.7 |
展示の説明文 |