識別コード | SG-0713 |
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絵の内容 | 復元地図の協力者として担当者と逢う |
作者名(カナ) | 尾崎 稔(オザキ ミノル) |
作者名(英語) | Minoru Ozaki |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 尾崎 稔 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
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情景場所 | |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
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作者による説明 | *絵中 被爆復元図の作成 昭和59年5月 中島新町方面の復元地図作成の協力者(募集)、昭和59年5月担当者と逢う。 湯崎稔 広大医学部教授 1931年5月生53才 尾崎稔 マツダ(株)素材部 1932年1月生52才 1、担当者との氏名1字違いの奇縁に驚く。親近感が湧き、やる気が出る。 2、10日後、A4用紙にメモ図を書き提出。 3、打合せ会をするので連絡を待つように言われる。 →約10年連絡なし 〇自分の状況 平成6年6月 大腸ガン手術(日赤) 平成26年1月 胃ガン手術(日赤) 治療通院 日赤に当時食堂が無かったので、広島市役所の食堂を利用していた。同階にあった記者クラブで、新聞記者と時々雑談していて、湯崎先生より連絡の無い事を話す。 記者は、パソコンで人の顔を出した。「この人は現広島県知事、湯崎英彦さんのお父さんで1984年6月脳出血で死亡されている」驚くと共に連絡の無かった事が、理解出来た。 「この方面の事が画けるのは尾崎さんしか居ないのよ。がんばって作成して」と云われた。 〇絵の具道具一式の取得 孫が学校卆業で使わなくなった絵の具道具一式を処分してくれと持ってきた。新品同様使用することにする。 復元地図の作成(湯崎先生と一緒に画く積りで取組む) 2016年中島新町方面地図完成 2020年人物を入れて2枚目を画く。 2022令和4年11月 尾崎稔90才 |
サイズ(cm) | 27×38 |
展示の説明文 |