識別コード | SG-0712 |
---|---|
絵の内容 | 被災状況 |
作者名(カナ) | 尾崎 稔(オザキ ミノル) |
作者名(英語) | Minoru Ozaki |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 尾崎 稔 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)8時15分頃 |
情景場所 | 南大橋東詰 |
情景場所旧町名 | 大手町九丁目 |
情景場所現町名 | 大手町五丁目 |
爆心地からの距離 | 1700 |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | *絵中 わしゃー(自分は)、死んだんかー? 被災した場所、被災者と被災状況 昭和20年8月6日(月)8時15分頃 広島市大手町9丁目 南大橋東詰、市の魚市場前。 水泳練習のため登校中、尾崎稔(男)13才、修道中学校2年生 附近の人達が「落下傘」「落下傘」と北空を指さしている。 ドコ!!と云って首を北側に向けた瞬間、空一杯に赤黄い閃光が降り注いで来た。”たまげた”(驚いた)平素の訓練通り、両手で目、耳を塞ぎ、体を伏せた。少しして状況が解らないので、手指を少しゆるめ、外を見、音を聞いた(真暗闇)(静寂)。又、時を置いて、二度、三度見たり、聞いたりしたが、同じ状況だった。 警戒警報は解除、これは何だ?中国配電か、電鉄の高圧変電所の事故か、”それにしては凄い”、数刻して指を又ゆるめてみるが同じ状況(真暗闇、静寂)。 ア-アー、わしャー死んだんかー?死ぬるのは痛くも痒くもないのーーー・・時を経て、空が少し明るくなる。生きていた、生きている!! 体を動かしその場に立った。 死んで、たまるか!! |
サイズ(cm) | 38×54 |
展示の説明文 |