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トップページ原爆の絵教室で死んだ友3 事故対策

原爆の絵

識別コード SG-0711
絵の内容 教室で死んだ友3 事故対策
作者名(カナ) 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ)
作者名(英語) Seigo Nishioka
当時の年齢 13歳
寄贈者名 西岡 誠吾
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1939/4
情景場所 白島小学校
情景場所旧町名 西白島町
情景場所現町名 東白島町
爆心地からの距離 1400
ブロック別 基町・白島地区
作者による説明 *絵中
教室で死んだ友 3事故対策
加森先生の代りに来た男先生は、よく怒る先生でした。
翌日1時間目に加森先生が教室に入って来ました。みんなは嬉しくて「わ~ッ」と歓声を上げました。
加森先生の説明では「K君が授業中に、鉛筆のキャップを口に吸いこみ、舌の上に乗せる遊びをしていて、誤ってキャップを飲み込んで、窒息した」でした。
その後、鉛筆のキャップの先端を削って穴を開けることになりました。キャップはモノを大切にするために奨励されていました。
毎朝数日間、先生はキャップに穴が開いているかを確認していました。全生徒にも点検が行われました。
加森先生は事情聴取やご遺族への対応が大変だったと思います。
あの時の先生の思い出を国鉄の列車で例えると、男先生はグイグイ引っ張っていく「貨物列車」の機関車。
加森先生は、各駅停車で駅弁が楽しめる「旅客列車」の機関車のようでした。
被爆後の加森先生の消息は分かりません。

1944年(昭和19年)3月卒業写真(陸軍運輸部検閲済)の先生方の写真(加森先生は前から2番目の列の左端)
サイズ(cm) 42×29.7
展示の説明文

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