識別コード | SG-0707 |
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絵の内容 | 朋ちゃんの思い出7 追悼の碑 |
作者名(カナ) | 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) |
作者名(英語) | Seigo Nishioka |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 西岡 誠吾 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 2014/4/6 |
情景場所 | |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | 小町 |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | 紙屋町・本通地区 |
作者による説明 | *絵中 朋ちゃんの思い出 7追悼の碑 「あの日」1945年(昭和20年)8月6日。私は爆心地から南2㎞の中学校で被爆して火傷と怪我をし、多くの人に助けられました。 県女1年生の朋ちゃんは爆心地から800mの小網町で被爆して1年生220人全員犠牲になりました。朋ちゃんの家族も犠牲となり、お父さんと末っ子の弟の2人だけが生き残りました。 時は過ぎ。2014年(平成26年)4月6日。幼馴染の文ちゃんが「人を紹介するから、私が泊っているホテルに来て頂戴」と言ったので、クルマを運転して行きました。 休日のためクルマの渋滞が無いので早く到着しました。久しぶりに朋ちゃんに会いに行こうと思い、県女の「追悼の碑」にお参りに行きました。名盤に刻まれた「柳川朋子」を確認して、遠い昔を思い出しました。 定刻にお見えになり自己紹介をしました。みんな優しい笑顔で接しられ、今までの緊張が吹き飛びました。 受け取った名刺「■■朋子」を見て、「エッ、朋ちゃんが生きていた。そんなことはないよ」と一瞬思いました。つい先ほどまで朋ちゃんのことを思っていたからなおさらでした。 名前は瞬間に本人を連想します。 原爆犠牲者 追憶之碑 廣島第一縣女 *別紙 被爆死 朋ちゃん どんなにか熱かったろう、痛かったろう、苦しかったろう。 一緒に遊んだことは忘れないよ。 |
サイズ(cm) | 42×29.7 |
展示の説明文 |