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トップページ原爆の絵朋ちゃんの思い出6 中学1年生

原爆の絵

識別コード SG-0706
絵の内容 朋ちゃんの思い出6 中学1年生
作者名(カナ) 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ)
作者名(英語) Seigo Nishioka
当時の年齢 13歳
寄贈者名 西岡 誠吾
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1945年(昭和20年)春
情景場所
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離
ブロック別
作者による説明 *絵中
朋ちゃんの思い出 6中学1年生
1945年(昭和20年)春。私は高等科1年を終了して県工(県立広島工業学校)に入学。朋ちゃんは初等科を卒業して県女(県立広島第一高等女学校)に入学しました。母も朋ちゃんのお母さんも大喜びでした。
中学生と女学生の会話は固く禁じられた軍国時代でした。通学の汽車は男子が最前車両、女子が最後車両。バスや船はそれぞれ前部と後部に分かれて乘っていました。
お互いに制服を着ている時は、顔が会っても無視していました。しかし、帰宅して私服に着かえると「朋ちゃん」「誠吾ちゃん」と声を掛け合っていました。
朋ちゃんは県女の制服を着るとなんだか眩しく感じました。
数年前、同年代の女性が「同じ女学生だったが、県女の生徒は近寄りがたい思いでした。それだけ貫禄があったね」と言いました。
朋ちゃんとの会話は、学校や勉強の事でした。建物疎開作業が始まると朋ちゃんは「疎開作業は大変じゃね、オシッコする所を探すのをみんな困っているのよ」
建物疎開作業は中学生や国民義勇隊など大勢の人が作業しているので、それはそれは大変だろう。

*別紙
朋ちゃんの県女1年生
朋ちゃんの家は裕福でした。着る物も食べ物も不自由な時代でしたが、着る物は質素ながら清潔な物を身に着けていました。
中学1年生になるとお互いが異性を意識するようになりました。
サイズ(cm) 42×29.7
展示の説明文

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