識別コード | SG-0693 |
---|---|
絵の内容 | 兵隊おばさん1 爆撃機「呑龍」 |
作者名(カナ) | 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) |
作者名(英語) | Seigo Nishioka |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 西岡 誠吾 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1942/4/29 |
情景場所 | 山陽本線 白島付近 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | 1600 |
ブロック別 | 基町・白島地区 |
作者による説明 | *絵中 兵隊おばさん 1爆撃機「呑龍」 1942年(昭和17年)4月29日、よく晴れた天長節。白島国民学校5年生の私は、学校の式典を終えて帰宅すると「あ~疲れた」と言って大の字になって寝ていました。しばらくすると突然飛行機の爆音が鳴り響き、驚いて外に飛び出しました。 空を見上げると爆撃機「呑龍」が超低空で反時計回りの旋回をしていました。手が届くほどの低空飛行でした。私は思わず「呑龍だ、呑龍だ」と叫びました。「呑龍」は3回旋回して、高度を揚げ乍ら南の方向へ飛んで行きました。 夕食時、母が飛行機の低空旋回について話しました。近所の山田さん(仮名)の息子さんが帰省するたびに「僕が戦地へ行く時は、飛行機で家の上を3回廻る」と言っていました。今日の飛行機はその山田さんの息子さんでした。 山田さんの奥さんは直ぐに気が付き、玄関前に掲げた日章旗を持って山陽線鉄道の土手に駆け上がり、日の丸の旗を大きく振りました。飛行機が見えなくなるまで振りました。 自宅の上を旋回した息子さんは近くの陸軍幼年学校校庭に通信筒を投下しました。「母上行ってきます。いつまでもお元気で」。母親に対する最後の短い手紙でした。 |
サイズ(cm) | 42×29.7 |
展示の説明文 |