トップページ原爆の絵同級生に被爆者健康手帳取得の証人になってもらった
識別コード | SG-0685 |
---|---|
絵の内容 | 同級生に被爆者健康手帳取得の証人になってもらった |
作者名(カナ) | 尾崎 稔(オザキ ミノル) |
作者名(英語) | Minoru Ozaki |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 尾崎 稔 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1945~1964 |
情景場所 | 相生橋他 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | 300 |
ブロック別 | 平和記念公園・周辺地区 |
作者による説明 | *絵中 被爆者健康手帳の取得(証明者・■■君)サッカー日本代表選手 (集団登校)修道中学校では、中島地区、本川地区の生徒は一緒に登校していた。こゝで始めて会った。 昭和20年12月被災後、相生橋上で同級生と出会った。 (世相)昭和32年被爆者手帳交付 1 申請には被爆証明書、2人分必要、多くの知人を失った中で証人探しは困難だった。 2 「被爆者は短命」「子供が出きても奇形児」、など。 3 偽証言者の続出などで積極的に取得行動はしていなかった。 (2人目の証明者) 被爆証明書 申請者氏名 尾崎稔 関係被爆地 1 同級生 2 相生橋で会う 認定 42.10.30(*取得まで約10年かゝっていた。) (手帳取得) 昭和35年自動車会社に臨時工として入社、工場長K主任(修中2級下)に出会い手帳の取得を進められる。 職務的に時間がなく、困っている時K主任の尽力と、■■君の友情で取得することが出来た。 改めてお礼を申し上げたい。 2022(令和4)2月 尾崎稔 90才 |
サイズ(cm) | 27×38 |
展示の説明文 |