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原爆の絵

識別コード SG-0674
絵の内容 戦時中の隣組 新年宴会
作者名(カナ) 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ)
作者名(英語) Seigo Nishioka
当時の年齢 13歳
寄贈者名 西岡 誠吾
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1945/1/1
情景場所 自宅
情景場所旧町名 西白島町
情景場所現町名 東白島町
爆心地からの距離 1400
ブロック別 4.基町・白島地区
作者による説明 *別紙
戦時中の隣組 新年宴会
1945年(昭和20年)元日、隣組の新年宴会を開催しました。戦局は厳しくなり日本の敗色が濃ゆく、暗い時代を歩んでいました。
そんな苦しい中、全員一致で「新年宴会」を私の家でやることになりました。正月用の特別配給の白米、野菜、お酒を持ち寄り、限られた食材で正月料理をつくりました。みなさんは家に有る物はなんでも持ってきました。
「田舎から送ってきたタクアン1本」「家にあった巻き寿司用海苔3枚」「今朝生んだ卵4個」「実家から送ってきた大長ミカン1箱」その他調味料等々。
狭い台所は、食材を切る人、煮炊きする人、盛り付けをする人で笑いが絶えない賑やかな場所でした。
2階では、おじさん達の酒盛りが始まりました。話題は「泉邸の横の京橋川で大きな鯉を釣った。泉邸から逃げたんじゃろう」「安芸の海は強い。連勝の双葉山を倒したから」等でした。戦争の話はありませんでした。
おじさん達はお酒が進むと歌声が聞こえてきました。故郷の民謡ばかりで、軍歌を歌う人はいませんでした。
台所のおばさん達も食事が始りました。2階から聞こえてくる歌声を聞いて「あら、うちのお父さんじゃ」「わあ、上手じゃね」「今度はあんたのご主人さんよ」「まあ」と、ご主人さんの歌声の審査が始り笑いが絶えませんでした。
2時間ぐらいでお開きとなり「また、来年もやろうね」と盛り上がりました。
私は1階と2階を往復する運搬係で、ご褒美に薄く焦げたおむすびを貰いました。久しぶりの白米のおむすびでした。とても美味しかった。
中学生の二人の兄は、軍事教練や軍需工場に行っていました。お正月も休みもなく、戦争に勝つために頑張っていました。
この日、元旦は空襲警報のサイレンが鳴らない静かで平和な一日でした。
サイズ(cm) 29.7×21
展示の説明文

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