識別コード | SG-0666 |
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絵の内容 | 同級生・Tくんの悲鳴 |
作者名(カナ) | 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) |
作者名(英語) | Seigo Nishioka |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 西岡 誠吾 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | |
情景場所 | 白島国民学校 |
情景場所旧町名 | 東白島町 |
情景場所現町名 | 東白島町 |
爆心地からの距離 | 1400 |
ブロック別 | 4.基町・白島地区 |
作者による説明 | *別紙 戦時中の「巡査」は〝泣く子も黙る”と言われ、子供心に大変怖い存在でした。悪いことをすると「巡査に言うよ」と脅されていました。 「Tくんの悲鳴」 1940年(昭和15年)初夏、白島小学校の教室は全ての窓が開け放され、心地よい初夏の風が吹き抜けていました。 午後の最初の授業が始まって暫くすると「ばしッ、ばしッ・・・・」と叩く音と同時に「ぎゃッー、ぎゃッー・・・・」と男児の大きな叫び声が聞こえました。 学校全体に聞こえる程の大きな音と叫び声でした。 私達3年川本組はお互いに顔を見合わせ「なんだろう」とささやき合っていました。川本先生は全く気が付かない態度で授業を進めていました。みんなは気になって授業になりません。 悲鳴は数回続き、少し間をおいてまた数回続く、を繰り返していました。 約30分位して、教室の前の扉からT君が泣きじゃくりながら入って来ました。そのまま自分の席につき泣き崩れていました。 みんなは「さっきの悲鳴はTくんじゃったんか」と納得しました。 先生はTくんのことを無視して授業を進めました。 次の休憩時間には、お互いが「Tくんに何があったんか?」とごそごそ話し合っていました。窓は全て開け放たれていたので学校中が疑問に思ったことでしょう。 3年川本組の教室 |
サイズ(cm) | 17.7×25.5 |
展示の説明文 |