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トップページ原爆の絵新聞を見て80年前を思い出す 転校生

原爆の絵

識別コード SG-0663
絵の内容 新聞を見て80年前を思い出す 転校生
作者名(カナ) 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ)
作者名(英語) Seigo Nishioka
当時の年齢 13歳
寄贈者名 西岡 誠吾
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1941年春
情景場所 白島小学校
情景場所旧町名 東白島町
情景場所現町名 東白島町
爆心地からの距離 1400
ブロック別 4.基町・白島地区
作者による説明 *絵中
3 転校生
1941年(昭和16年)春。4年川本組は一番新しい校舎の2階でした。防火壁の近くでした。
1学期の始め。朝の1時限に川本先生と転校生が教室に入って来ました。転校生は先生よりも背が高く足は長く、欧米人の体形で、みんなは驚きました。

先生はアメリカから帰国した転校生を紹介し、続いて転校生が自己紹介をしました。「ワタシハ、ササキ・シゲキデス、ヨロシクオネガイシマス」と、たどたどしい日本語で話すと同時に、全員が大声で笑いました。すると、先生は「笑うんじゃないッ!。佐々木君は日本語が上手く話せないので、1学年下げて転校したんじゃ。みんなは、「いたわりの気持ちで仲良くせ~」と、顔を真っ赤にして怒りました。

机の席は、最後列の私の机の横でした。机は二人用です。足の長い佐々木君は大変苦痛でしたが、特別な扱いはありませんでした。

佐々木君は、国語の時間の本読みは大変苦労をしていました。いつも私が小声で助けていました。みんなは、笑いたい気持ちをグッと堪えていました。
時々、宿題を忘れて先生に怒られていました。

川本先生と佐々木君

*別紙
アメリカから転校してきた佐々木君は、1年を経ると会話も勉強も私たちと同じように上達しました。川本先生は怒る時は厳しいが、普段はフレンドリーに接していました。私たちが「先生の家に遊びに行きたい」と言うと、先生は「百姓をしとるけ~コエタン(人糞)を撒くから臭いど」みんなは「わあ~」と騒ぎ出す。
サイズ(cm) 42×29.7
展示の説明文

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