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トップページ原爆の絵東練兵場から市街を望む。丘には200人から300人のやけどした人が避難していたが水も薬もなかった。

原爆の絵

識別コード NG119
絵の内容 東練兵場から市街を望む。丘には200人から300人のやけどした人が避難していたが水も薬もなかった。
作者名(カナ) 安藤 雅由(アンドウ マサヨシ)
作者名(英語) Masayoshi Ando
当時の年齢 17歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)12:00~12:30
情景場所 東練兵場
情景場所旧町名 尾長町
情景場所現町名 光町
爆心地からの距離 2,300m
ブロック別 牛田・広島駅周辺地区
作者による説明 **絵の中
稲光
宮島
貯金局
日赤
文理大
市庁舎
国泰寺
日本銀行
富国生命
明治生命
中国新聞
福屋
福屋旧館
袋町小学校
中電話局
広島駅
プラットホーム
産業奨励館
石垣
広島城
泉邸
別院
茶臼山
東練兵場
**裏
安藤雅由(74才)
**別紙
原爆の絵の説明
広島市の東、東練兵場東端(現在の光町)の少し高くなった丘状の所から西南西の方向を眺めた光景で、東雲町の広島市立工専から学友三人で牛田の家に帰る途中の多分十二時から十二時半の間だったと思う。
我々三人は的場まで出たが、市内の火災の状態がひどいので引き返し、東大橋を渡って山陽本線を横断、芸備線沿いに西に進んで前記の場所に到達した。
丘には二三百人の被災者の人たちが避難しており、殆どの人が傷や火傷を負っていた。火傷の人は顔が紫色に腫れ上がり瞼が膨れてまるで大仏様のよう。中には演習中の兵隊も相当混っており、すべて大仏様、ただ帽子を被っていた額から上は髪の毛も残って腫れてもいない。焼けた肌は皮が炭化しボロ布のように垂れ下がって素肌からは血が滲んでいる。殆どの人が傷口から血を流し、直射日光の下でうずくまるか横になるかしており、水を欲しがっていたが付近に水を求める所も薬も全くない。
西の方を見ると、左手前に鉄骨を曝して燃えている広島駅の駅舎、その向こうに中国新聞社・福屋百貨店・富国生命等のビル、右手に泉邸(今の縮景園)の樹木の幹が交差して燃えている。あとは黒いガラクタが市内一面に横たわり、その上が四層になっている、最下層は空白状で無色、二層目が黄色の炎、三層目は赤い紅蓮の炎、四層目が真っ黒な煙の層で、それが市内全体を覆っている。中央を突き破るように白いキノコ雲の柱が湧き上がって、雲の頂上部分では雷が発生して盛んに稲光の閃光が見られた。
後から思い出して描いたもので、位置関係や被爆の凄さは到底描き尽せないが、地獄絵図的な雰囲気は理解して頂けるものと思う。小生当時十八才。
サイズ(cm) 31.5×40.5
展示の説明文

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