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トップページ原爆の絵比治山の防空ごうで弟を見つけ連れて帰る。その途中で見た防火用水槽の死体や背中の焼けている魚。

原爆の絵

識別コード NG048-02
絵の内容 比治山の防空ごうで弟を見つけ連れて帰る。その途中で見た防火用水槽の死体や背中の焼けている魚。
作者名(カナ) 山本 一夫(ヤマモト カズオ)
作者名(英語) Kazuo Yamamoto
当時の年齢 14歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6~8/8(時刻)⑤12:00頃、⑥真夜中、⑦6:00頃、⑧7:00頃、⑨12:00頃
情景場所 ⑥比治山の防空ごう、⑦白島町、⑧三篠橋、⑨大芝土手
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離
ブロック別
作者による説明 **絵の中
⑤8月6日 正午
⑥8月7日 眞夜中 比治山 防空壕
⑦8月8日 朝6時頃 白島町 防火水槽
⑧8月8日 朝7時頃 三篠橋
⑨8月8日 正午 大芝土手
**別紙
⑤6日 正午頃 日傘の布が焼けて金具だけに成って居るのも知らないのか歩いて居る
⑥7日 午後4時頃 弟が居ると連絡が有りましたので、ゆで玉子、むすびを持って行く事にする。其の頃7時頃父親が川舟に乘せられ帰って来ると役場より連絡が有りました。食料とガーゼを持って大芝の土手を通い三篠を渡り白島町より駅前を通り比治山の防空壕来ました時は眞夜中眞暗で入口が分からない。明かりを付けようとしても空襲警報が出て居るので明かりも付けられず壕の入口で避難して来た人が入口で倒れて重なって中に入る事が出来ないので名を呼びながら探す。返事があったので中に入り連れ出す。帰る途中大芝の国民学校に仮の陸軍病院で注射してもらった。父親が帰る事はしって居たが私くしが帰った時は火葬は済でいた。父親の顔は見てない。
母親は何処かで無事で居ると思い毎日捜しに出掛ける。
⑦8月8日 弟を連れて帰る途中、白島町辺りで見た。防火水槽に水を求めて顔を水槽に入れて死亡して居た。
⑧8月8日朝 大芝の土手から見た。川の中の魚も背中が焼けて白く成って泳いで居た。
⑨8月8日11時頃 大芝の土手広場に倒れて居る人を捜しに来た人が大八車に乘せたりおろしたりして居る。顔が焼けて居るので良く分らないよう。
サイズ(cm) 29.6×21
展示の説明文

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