トップページ原爆の絵亡くなった被爆者を氏名の判ったもの判らないものに分けて火葬する
識別コード | GE33-29 |
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絵の内容 | 亡くなった被爆者を氏名の判ったもの判らないものに分けて火葬する |
作者名(カナ) | 佐藤 芳治(サトウ ヨシジ) |
作者名(英語) | Yoshiji Sato |
当時の年齢 | 33歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/7(時刻)19:00頃 |
情景場所 | 大野村火葬場 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | |
作者による説明 | **絵の中 被爆者火葬之図 S.20.8.7. 大野町火葬場 氏名の判ったもの 20体 (足元に名札を立てる) (胸名札アリ。又ハ生前氏名申告者) (山の松の木を切り倒して枕替りとする) 無縁佛25体(衣服の名札焼け、名札無いもの) Y.S **別紙 被爆者火葬之図 日時. 昭和20年8月7日午後7時頃 場所. 大野町火葬場(現2号線側方の山) 佐伯郡大野町小学校に収容された被爆者は即日より逐次死亡し翌朝には50~60体に及んだので町火葬場に運搬し露天一棺焼きの穴を拡大して氏名の判った20体、別に新規穴を堀り無縁佛25体を火葬する 火葬材料も充分なく藁と少量の薪であった 之が第1回の火葬でその後毎日続いた。 見送る縁故者もなく多数の被爆者が死んで行った。 この日の作業隊小官を長とする■小学校教員(下士官)練習生15名、死体は茣蓙または莚に巻き小児はりんご箱等に収めた。 佐藤芳治 |
サイズ(cm) | 27×38 |
展示の説明文 | 大野村火葬場 1945年(昭和20年)8月7日 午後7時ごろ 佐藤 芳治 (原爆投下時33歳、絵を描いた時63歳) 【作者のことばから】 収容された被爆者は即日より逐次死亡し、翌朝には50~60体に及んだので、町火葬場に運搬し、露天一棺焼きの穴を拡大して、氏名の分かった20体、別に新規穴を掘り無縁仏25体を火葬する。 見送る縁故者もなく多数の被爆者が死んでいった。 |