menu

トップページ原爆の絵亡くなった人を古川の川原で火葬する

原爆の絵

識別コード GE30-31
絵の内容 亡くなった人を古川の川原で火葬する
作者名(カナ) 松島 あや子(マツシマ アヤコ)
作者名(英語) Ayako Matsushima
当時の年齢 38歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/10前後
情景場所 昭和橋付近
情景場所旧町名 安佐郡川内村
情景場所現町名 安佐南区川内
爆心地からの距離 8,000m
ブロック別
作者による説明 **絵の中
現在 佐東町緑井方面国道
旧安佐郡緑井村字松宗土手
八木村
旧太田川の支流古川
昔は鮎も鯉もいる清流
現在は埋立地になり川幅も狭くなりました
緑井至ル
昭和橋
川内温井
竹やぶ
昭和二十年八月六日朝八時十五分広島市に居て原爆を受けた人が川内国民小学校に數え切れない程、逃れて来られ、息も絶々に、只水々と言ふだけで、息を引取られた人が、澤山おられました。皆全身火傷で、皮膚がズルムゲの方もあり、蝿は止るし、ウジは湧くし、この世の人とは思れない。可哀想な人ばかりでした。次々と死なれるので村の火葬場も所、せまくなったので、古川の河原で、八月十日前後より、毎日夕方五六人づつ石油をかけて火葬されました。
枕元に青竹に、紙袋はさんで名前を書いて、立て、最後に骨を拾ふて入れて係の人がお寺さん持って行れました
この川内村には木が少ない所故石油で焼かれたのだと聞いています
合掌
青竹にはさんだ名前書の骨入の紙袋
被爆者
昭和二十年八月十日前後
河原で火葬現場
旧川内村温井の土手 現在佐東町川内温井
川内村には八月六日の朝広島市に建物疎開に行って居た、主人、主婦、学生など二百人余りの人が被爆死せられ現在も行方不明が澤山おられます
合掌
**裏
旧 昭和二十二年まで川内村温井に住む
松島あや子 68才
サイズ(cm) 38×54
展示の説明文

戻る

Page Top