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トップページ原爆の絵手当の効もなく次々と亡くなる被災者たち、顔、髪は焼きただれ、腫れあがり見るも無惨であった

原爆の絵

識別コード GE09-08
絵の内容 手当の効もなく次々と亡くなる被災者たち、顔、髪は焼きただれ、腫れあがり見るも無惨であった
作者名(カナ) 佐藤 芳治(サトウ ヨシジ)
作者名(英語) Yoshiji Sato
当時の年齢 33歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)夕方
情景場所 大野国民学校講堂
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離
ブロック別
作者による説明 **絵の中
収容された被爆者之図
S20.8.6
大野小学校講堂 
被爆者の焼損した衣類の山
Y・S
**別紙
収容された被爆者之図
日時 昭和20年8月6日
場所 大野小学校講堂
己斐方面より収容された被爆者、自力で広島から辿りついた被爆者は次第にその数を増し100余により講堂内の阿鼻叫喚の様は正にこの世の生地獄の如く用いる薬品も赤チン、ヨーチンが主体で他の医薬品も余りなく軍医、開業医、先生、町民、必至の手当も効なく逐次死亡し翌朝には50~60体に上った。その様は顔面、頭髪、焼き爛れドス黒赤い顔は腫れあがり生皮膚は引ハガレ 口唇は腫れてヒックリ返り見るも無残な容相となり老若男女の区別も困難なものが多かった。
佐藤芳治
サイズ(cm) 27.5×38
展示の説明文

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