識別コード | SA069-1 |
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写真タイトル | 比治山国民学校校庭にて |
撮影者(カナ) | 川本 俊雄(カワモト トシオ) |
撮影者(英語) | Toshio Kawamoto |
提供者(カナ) | 川本 祥雄(カワモト ヨシオ) |
提供者(英語) | Kawamoto Yoshio |
撮影日時 | 1945年秋 |
撮影場所 | 東雲町(現在の上東雲町) |
ブロック別 | 比治山・仁保地区 |
爆心地からの距離(m) | 2800 |
説明 | 「迷子収容所」の教諭と子どもたち。広島市は8月8日、肉親が行方不明となった幼子らを預る「迷子収容所」を比治山国民学校に設けた。後列に写る2人は同校教師。後列左端から斗桝良江さん、谷村保子さん(当時19歳)。谷村さんの父は被爆死したと思われ、遺骨すら見つかっていない。母親でもあった教師が胸を乳飲み子に与え、名前が分からない子の名付け親にもなった。 「比治山迷児収容所概要」によると、9月2日までに計91人(うち女児36人)を受け入れ、32人が親や親族に引き取られ、9人が死去していた。学校は11月24日に再開し、引き取り手が現れなかった16人は翌1946年2月、五日市町皆賀(現佐伯区)の県農業試験場跡に前月開所した「広島戦災児育成所」へ移った。 |