識別コード | A-813 |
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写真タイトル | 相生橋西詰から東に向かって |
撮影者(カナ) | 林 重男(ハヤシ シゲオ) |
撮影者(英語) | Shigeo Hayashi |
提供者(カナ) | 広島平和記念資料館(ヒロシマヘイワキネンシリョウカン) |
提供者(英語) | Hiroshima Peace Memorial Museum |
撮影日時 | 1945/10/01-10 |
撮影場所 | 鍛冶屋町 |
ブロック別 | 平和記念公園・周辺地区 |
爆心地からの距離(m) | 350 |
説明 | 相生橋西詰南側親柱付近から東に向かって。左から日本赤十字社広島支部、相生橋西詰め南側親柱、広島県産業奨励館(原爆ドーム)。路面電車用コンクリート製角電柱に「横山直蔵外一同」と書かれた被災者の伝言メモ。相生橋西詰め付近は爆風の影響で軌道敷にズレを生じ、応急復旧工事が行われた。親柱のたもとには、軌道敷石や、斜路のレールなどが仮置きされている。手前レール脇に白く残る被災者の遺骨。一瞬のうちに修羅場と化した広島市では、焼け跡のあちこちで、犠牲者の遺体の火葬が行われた。爆心に近い相生橋西詰めも、臨時の火葬場となったといわれている。 林重男(当時27歳)は、原子爆弾災害調査研究特別委員会が編成する調査団に物理班のスチールカメラマンとして参加。残留放射線の脅威がささやかれる中、10月1日から10日まで、広島で撮影を行った。 |